広東語を音読してもらう
私の座右の書のひとつは「台所から北京が見える」(長澤信子著)である。
北京語通訳者の長澤信子さんが勉強を開始し通訳になり活躍するまでを書いた本で、時折パラパラとめくって読むが、毎回 外国語の勉強について教えられることが多い。
実は今もっているものは2冊目で、1冊目はまだ家のどこかにあるはずだが、読みたいときに探しても見つからなかったので、急遽 2冊目を買ったのである。私にとってはそこまでしても読む価値のある本ということができる。
この本のテーマは北京語の学習だけれども、あらゆる外国語を学習しているひとにとっていろいろと参考になることが書いてある。
例えば、p187 に下記のような記述がある。
居間には私の自慢のテープライブラリーがある。市販のものではない。機会あるごとに中国人にお願いして、吹き込んでもらったものばかりである。魯迅、巴金、朱自清の作品と、「古詩十九首」、「胡笳十八拍」から「唐詩」にいたる漢詩のテープがそろっている。
カードを書くのに疲れたときは、私はこれらのテープに耳をかたむける。そのとき私は、けっして、ながら族ではない。白居易の「長恨歌」と「琵琶行」は、テープをあまりくりかえし聞いたのでほとんど覚えてしまった。
これに刺激を受けて、私は以前「西遊記」の児童版を買ってきて、香港人のカミさんに吹き込んでもらったことがあった。今ならスマホがあるので録音自体は簡単である。
しかし、カミさんのモチベーションを上げて、吹き込ませるほうが大変だった。
自宅にいるときに、「西遊記」の児童版とスマホを渡して、「さぁ、広東語で吹き込んでくれ」といって実現するほどたやすいものでは決してない。
機嫌の良いときに、子供と一緒に近所のレストランに出かけ、ゆっくり食事をしたのち、「実は西遊記を広東語で録音してほしいんだけど」と切り出さなくてはならない。
外で仕事をしているときでも、家で何かをしようとするときでも、何でも根回しが大切であるということになる。
カミさんは機嫌がよいときに録音すると、会話体の文章はそれぞれの人物によって声音を変化させ、逆に地の文は感情を込めずに淡々と発声してくれるほどサービス精神が旺盛なのである。
カミさんは外国語の学習ということに全くと言ってよいほど興味がないので、こういう人物を誘導するのは、なかなか頭を使うことである。
このように自作の音声は、市販教材のCD音声などに比べて愛着がある分、やはり覚えやすい。
カミさんに頼めないひとは、留学生の友達や、教室の先生などに頼むことをおススメする。
以上