広東語には包容力がある!
今回は話が少しそれますが、どうしても書きたかったので、
「広東語には包容力がある」という話を書きます。
香港という国際都市は、人種のるつぼであり、様々なバックグラウンドを持った人々が共存している場所なので、まず初対面の相手と会話をする場合は、どの共通言語を使うかという問題から始まります。
基本的には、広東語か英語か普通語の3パターンです。
相手の容貌によってほぼ使う言語が予測できるので、瞬間的に判断します。
私は香港在住15年の日本人で、広東語でのコミュニケーションは問題ありませんが、やはり見た目や雰囲気から日本人だとわかるのでしょう。セブンイレブンで飲み物などを買うとき、レジでは英語で話しかけられます。そこをあえて広東語で返すと、レジのひとはじっと私の顔を見ていますので、先ほどの「この男は日本人に違いない」という判断を修正しているのかもしれません。
香港という場所が、あらゆる場面で、このように「初対面の相手とのコミュニケーションがうまくいかないかもしれない」という問題を抱えているため、例えば、あなたの広東語のレベルがそれほど高くなくても基本的なやりとりが何とかできるというレベルならば、相手の広東語話者はあなたを「会話可能なレベルである」という範疇に入れてくれます。その際、発音が日本語的だったり、文法的に間違っているということは寛大に見てもらえます。
そしてあなたの広東語レベルが高く、普通にコミュニケーションが取れる場合なら、あなたを他の香港人と隔たりなく仲間と見なしてくれます。
香港および広東語圏にはこのような包容力があり、異国人に対して寛大な場所なのです。
この点を「中国語はおもしろい(新井一二三)」が的確に表現しています。
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そもそもの成り立ちからして、各地方出身者間の意思疎通という目的をはっきりもっているので、中国人の耳は、減点方式ではなく、加点方式で相手の言葉を聞く。つまり、「あっ、間違った」「また訛ってる」と、欠点をあげつらうような、意地悪な聞き方をしない。反対に、「たぶんこうだ」「きっとそういう意味だろう」と、聞き手が積極的にコミュニケーションに関与してくるのだ。
この点も広東語を勉強するメリットだと言えます。
広東語を学習している者にとって、その広東語の世界に入っていくために、広東語の上級者になるまで待つ必要がないのです。
初級者、中級者でも堂々とその世界に入っていけるほど、広東語世界への敷居は低いと言えます。
以上