日本人の私が広東語を勉強するメリット

日本人がいかに独学 低コストで広東語を身につけるか

香港人妻との間に生まれた私の娘がいかに日本語を話せるようになったか

香港人と結婚した私にはひとり娘がいるが、

言語的にやはり母親の影響を強く受けるようで、私の努力もむなしく、家庭内の共通語はいつの間にか広東語になってしまった。

 

私が生まれたころから観察しているところでは、娘はまるでエスカレーターにでも乗るように、誠にスムーズに広東語を話せるようになった。

保育園に行くころにも目を見張るほど流ちょうに意思表示ができるようになっていたが、幼稚園に行くようになって語彙が爆発的に増えた。

 

友達の名前を覚えてきて、会話の中に、その名前が出てくることがあるが、

香港人の名前(姓名で通常漢字3文字)の音声を聴いても、正直私には男女の区別がつかない。

私がその子は男か女かと問うと、「男(または女)に決まっている」と言う。

もちろん娘は実物と名前が一致しているので、分かって当然であるが、こういう体験があるひとつの言葉を習得する際の基礎のひとつになるのだろう。

 

そういう意味で、20代後半で香港に単独で来てから広東語を人工的に学習した私の広東語には、基本的な部分が欠落していると思う。

 

一方で、日本語は私が話しかけると7割程度は理解しているようだが、

時折「分からない」と広東語で言い、険しい表情をしてしまう。

意味が分からないことが不愉快なのだろう。

 

娘からは簡単な日本語の単語以外は発せられることがなかった。

 

そこで、私はリタイアして日本に住んでいる母親に連絡し、1カ月ほど娘を相手に遊んでもらえないかと頼んでみた。

 

すると母親は快諾してくれ、数日後に我が家に来てくれた。

 

驚くことに、母親が到着してから第2日目に、娘は日本語しか分からない私の母親と日本語を使って会話を始めた。

 

娘は私の母親が広東語を全く理解しないことを承知したようで、第3日目からは私の母親に対しては全く広東語を発しなくなった。

 

会話の内容を盗み聞きしてみると、大好きなミッキーマウスについて長時間話をしているようだ。私の母親も孫の可愛さが手伝ってか、真剣に話を聞いている。

 

そんなことがあって1週間もすると、ほぼ9割方は日本語での会話が成立している。

「私の」の「の」や「これが」の「が」が抜けているが、それを除けば聞くに堪えるに日本語になっている。

 

それから1カ月たつと、どこでそんな表現を覚えたのかと不思議に思うほど、完璧な日本語を話せるようになった。

 

おそらく生後から今まで私が発した日本語の蓄積があったこともあるだろうが、

それよりも「伝えたい内容がある」ということが会話の上達にはもっとも大切な要素だと思った。

 

「伝えたい内容」が頭の中にあると、知っている少ない知識を総動員してそれを表現するように頭脳が働くのだろう。

 

日本語、広東語に限らず、外国語を学習するときは、この頭の使い方が最も重要で、逆にこの使い方ができないと外国語は全く上達しないということになる。

 

私のこの経験から知りえたことを自分の外国語学習にもさっそく使ってみようと思う。

 

以上